早稲田大学名簿提供事件(最高裁)弁論要旨  
                   
                        弁護士 矢澤f治  
  
 弁護士の矢澤です。私は、大学の独立と自治及び個人情報保護の視点で弁論をいたします。
 第一に、大学の独立と自治についてです。大学人でもある私には、早稲田大学による名簿提供は耳を疑う事件であり、良心から義憤を覚えます。
 わが国では、戦争遂行のために、大学においても国家権力により滅私奉公を強要されました。戦後における大学の独立と自治は、戦前の忌まわしい思想や行動のあり方を猛省した見識ある人々により獲得された不断の努力の賜であリます。
 大学の独立と自治とは大学が権力機関から独立し、権力の介入を許さないということであり、本件に即して申しますと、たとえ大学が権力から学生の個人情報の開示を求められたとしても、法令上の根拠があり、緊急性があり、必要不可欠である場合を除き、それを開示することを断固として拒否しなければならないということであります。
 大学の庇護下にある学生は、自己の情報が承諾なしに第三者に対して開示されることを決して容認するものでありません。
 しかるに、本件では、開示すべき合理性が存在しないにもかかわらず、学生の個人情報を、本人の同意を得ることもなく、警察機関に提供したという前代未聞の行為が問題とされているのであります。
 大学の姿勢には、学生名簿を権力に提供することにいささかのためらいも感じられません。講演会を学内で開催するに及び、国賓の警備という目的のためには、学生の個人情報を警察機関に提出しても当然であるということであり、「国家の利益」の名目で「大学の独立」と「個人のプライバシー権」を蹂躙するものであります。これは、建学の精神、学内規則並びに大学の独立と自治を水泡に帰せしめることに他ならなりません。
 本件において、大学側は、「講演会参加を望む学生の名簿への必要事項の記載」が「警察に当然名簿を提出することの認識」であると主張してきました。この主張は、名簿に記載する行為が個人情報の目的外利用と推定的承諾を肯定するために立論されたものでありますが、いわば木に竹をつなぐが如きものに他ならなりません。この詭弁を弄する立論は、大学側の個人情報の要保護性の認識と対応に根本的な誤りがあることを如実に示すものであります。

 したがいまして、大学の本件名簿提出に当性は存在せず、違法性阻却事由は否定され、強度の違法性が認められてしかるべきであります。

第二に、学籍番号を含む個人情報の保護についてです。
 学籍番号は、大学側の主張に拠りますと「単純情報」に過ぎないとされておりますが、実は多くの情報を含みうるものであり、「単純情報」の域を越えたものというべきであります。
 学籍番号や電話番号が個人情報であり、しかも、単純情報であるといたしましても、これらの情報を保護する必要があります。なぜならば、情報の価値が低いかどうかの問題は、本人のプライバシー権にかかわることであり、社会一般の価値規準で画一的に判断してはならないと考えます。
 大学は、名簿提供に係る個人情報が単純情報として社会一般からして価値の低い情報であるとしながら、他方において、警察当局にとっては有効かつ必要な情報であり、だから開示が必要であると主張しております。とするならば、これらの情報は価値の高い情報に他ならず、侵害される者のプライバシー権としてやはり保護すべき情報である、と考えざるをえません。
 本件において、大学が第三者に個人情報を提供することは、原則として、プライバシー権の侵害であり、違法とされることは免れえないと確信いたします。

第三に、憲法上の他の要請についてです。
 個人情報の他者への無断提供は、思想信条の自由にも係わりうる事柄でもありますので、この点について一言いたします。誰それの講演会出席などの学生に係わる情報をたとえ一部であれ、大学が本人の同意なく、第三者特に権力にその情報を提供することは、学生が有する思想信条を暴露することにもなりかねないのであります。微細な情報も蓄積されるより個人の思想や信条が限りなく補足される手段となりうるからであります。私は、学生の個人情報を権力に開示することが、蟻の一穴となる畏れがあることを強調したいと思います。
 最後に、548号事件の結論が正当であることを再確認いたしまして、私の弁論といたします。

最高裁判決