保険契約の被保険者たる弁護士が,「自ら」訴訟に応訴した場合,その負担した争訟費用は,弁護士賠償責任保険契約による填補の対象になるか

 

判例研究と上告受理申立書

 

弁護士 法科大学院教授 矢澤f治  

 

 本稿は,平成19年(ネ受)第162号につき,平成19年5月1日付で,筆者が上告受理申立人訴訟代理人として提出した上告受理申立理由書である。遺憾ながら上告は受理されなかったが,本件は,判例が乏しい弁護士賠償責任保険契約について,法曹にとって考えさせられる論点と理由を有すると確信するので紹介することにした。申立書に合わせて補充書も提出されているが,本稿では,上告受理申立書だけを紹介する。

 

はじめに

 1 事案の概要 

 2 本件の位置づけ

  3 原判決の要旨等

第1 上告受理申立の理由(民事訴訟法第318条1項)

   判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがあり,法令の解釈に  関する重要な事項が含まれていること

第2 原判決の批判的検討(1)

  :普通約款第2条1項4号につき,「他の弁護士」に制限する解釈の誤りがあること

 1 約款解釈の方法に明らかに反すること

 2 平成5年大阪地裁判決の解釈

 3 わが国の学説による解釈

 4 わが国の実務家の見解

 5 欧州諸国の制定法の検討

 6 被保険者である弁護士自身による代理人の地位の兼併
  
  7 小結

第3 原判決の批判的検討(2)
  :普通約款第2条1項4号につき,「実際に・・・支払うことになった場合」に      限定する解釈の誤りがあること

 1 約款解釈の方法に反すること

 2 わが国の裁判例(大阪地裁平成5年判決)

 3 学説による大阪地裁平成5年判決の支持

第4 説明義務違反

第5 結論

 

 はじめに

1 事案の概要 

(1)申立外全国弁護士協同組合連合会(保険契約者)と被上告人(以下,「Y」という。)との間で本件保険契約が締結されている。上告受理申立人(原告,控訴人,以下「X」という。)は,第二東京弁護士会所属の弁護士であり,平成3年7月1日本件保険契約に加入してその被保険者(保険期間1年間)となり,以後毎年同契約に加入している。

(2)本件保険契約の「普通約款」及び「特約条項」には,以下のような規定がある。

 (普通約款)

 1条 当会社は,この約款に従い,被保険者が特約条項記載の事故により,他人の   生命若しくは身体を害し又はその財物を滅失・き損若しくは汚損した場合にお   いて,法律上の賠償責任を負担することによって被る損害をてん補する責めに   任ずる。

 2条1項 当会社がてん補する損害の範囲は,次のとおりとする。

   1号 被保険者が被害者に支払うべき損害賠償金(損害賠償金を支払う,    ことによって代位取得するものがある場合はその価額を控除する。)

   3号 被保険者が第16条1項3号の手段を講ずるために支出した必要ま     たは有益であった費用

   4号 被保険者が当会社の承認を得て支出した,訴訟費用・弁護士報酬・     仲裁・和解又は調停に関する費用

16条1項 保険契約者又は被保険者は,事故又は損害が発生したことを知った   ときは,次の事項を履行しなければならない。

   3号 損害防止軽減するために必要な一切の手段を講ずること。

    5号 損害賠償責任に関する訴訟を提起し又は提起されたときは,直ち     に当会社に通知すること。

 (特約条項)

 1条1項 当会社は,普通約款第1条の規定にかかわらず,被保険者が弁護士   の資格に基づいて遂行した業務に起因して法律上の損害賠償責任を負担す   ることによって被る損害をてん補する責めに任ずる。

 6条1項 被保険者は,損害賠償請求に関し,訴訟,仲裁,和解又は調停の手   続を行うときは,自ら弁護士を代理人として選任することができる。

   2項 当会社は,普通約款第2条第1項第4号の承認をする場合において   ,代理人たる弁護士の選任については,被保険者の決定のとおり承認する。

 10条 この特約に規定し事項については,この特約に反しないかぎり,普通約    款の規定を適用する。

(3)申立外Aは,平成14年10月16日,Xを被告として,Xに委任した訴訟等の  代理業務に起因する損害賠償金484万円を含む583万9630円及びこれに対  する遅延揖害金の支払を求める訴えを東京地方裁判所に提起したが,以下,「前件  訴訟」という。),請求を棄却され,その控訴も棄却された。申立外Aは,上告及  び上告受理の申立てをしたが,最高裁判所は,平成16年5月28日,上告棄却及  び上告不受理の決定をなし,上記請求棄却の判決が確定した。

(4)Xは,前件訴訟を提起された後,普通約款第16条1項5号にしたがい,平成1  4年11月1日,本件保険契約の保険代理店に前件訴訟を提起された旨を通知し,  次いで,同月12日ころ,被上告人の代理人であるB弁護士から電話による連絡を  受けた際,この訴訟は他人に任せられないので自ら訴訟を遂行する旨を伝え,現に  ,他の弁護士を訴訟代理人として選任することなく,自ら訴訟活動を行った。また  ,Xは,前件訴訟の経過を適宜・随時B弁護士等に連絡してきたのである。

(5)Xは,Yに対し,平成16年8月6日到達の内容証明郵便をもって,弁護土報酬  相当額の保険金161万7000円を支払うよう請求した。この金員は,Xが,前  件訴訟の訴額を基礎に第二東京弁護士会報酬会規によって算出した第一審,控訴審  及び上告審の各着手金並びに報酬金の合計額である。

 3 本件の位置づけ

(1)本件では主要な三つの争点がある。すなわち,第1に,本件保険契約の被保険者  たる弁護士が,「自ら」訴訟に応訴した場合,その負担した争訟費用が弁護士賠償  責任保険契約による?補の対象になるかという問題,換言すれば,他の弁護士を訴  訟代理人に選任せず自ら訴訟活動を行った場合において,普通約款第2条1項3号  ないし4号に基づく被保険者の弁護士報酬相当額の保険金を請求することができる  か否か(以下では,「第1の争点」という),第2に普通約款第2条1項4号に  基づく保険金の請求の場合には,その前提として,普通約款第2条1項4号所定の  承認が必要であるか否か(以下では,「第2の争点」という),さらに,第3の争  点として,保険金請求の前提として承認が必要であり,本件においてその承認がな  かったとしても,保険者は,信義則上承認がないと主張することができるか否か(  以下では,「第3の争点」という)ということである。

(2)これらの争点,特に第1と第2の争点に関しては,わが国の裁判例として,大阪  地裁平成5年8月30日判決(判例時報1493号134頁)(以下,「平成5年  大阪地裁判決」という。)がある。

 平成5年大阪地裁判決は,第1の争点について,「以上の諸点を考慮するならば,普通約款第2条第1項第4号は,賠償責任保険においては,被保険者が法的に損害賠償責任を負担すべきかどうかが明らかでなく,被害者の提起する訴訟に応訴してその損害賠償責任の有無及び損害額が確定されることが多いことから,保険者自らによる解決の方法が選択されない場合には,被保険者が,自らないし訴訟代理人を選任して右訴訟に応訴し,それに伴って争訟費用を負担ないし支出せざるを得ないという実際上の必要性と,それによって保険者の利益をも図られるという点を考慮して規定されたもの」であると解すべきものと判示している。

 第2の争点である,普通保険約款第2条1項4号が?補範囲として定める「被保険者が当会社の承認を得て支出した,訴訟費用,弁護士報酬・仲裁・和解または調停に関する費用」は,あらかじめ「承認を得て支出した争訟費用」に限定されるかという問題については,平成5年大阪地裁判決は,「普通約款第2条第1項第4号が保険者のてん補すべき争訟費用を保険者の『承認を得て支出』した争訟費用に限っているのは,被保険者が不要な費用を支出して応訴し,それを保険者に転嫁することを防止しようとする趣旨によるものであると解される」とし,争訟費用の「負担」という表現を用いることにより,争訟費用の「支払」の場合のみならず,弁護士たる被保険者自身が争訟費用を「負担」した場合も普通約款第2条1項4号に該当することを周到に判示している

 ただ,同判決は,保険者に争訟費用のてん補を請求するためには,現実に「支出」している必要があるかどうかについては,前記第4号で「支出した,訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・和解または調停に関する費用」と明記しているのであるから,現実に支出している必要があるというべきであり,また,そのように解しても不当,不合理であるとはいえない」としている。しかし,他の弁護士を訴訟代理人として選任した事案についての判断であり,被保険者が自ら応訴し,それに伴って争訟費用を「負担」した場合の判断ではない。被保険者たる弁護士が自ら応訴し,それより争訟費用を「負担」した場合には,現実に「支出」するという問題は生じない。

(3)しかるに,本件第一審の東京地裁平成18年10月31日判決は,第1の争点に  つき,「約款の定め(被保険者が・・・支出した,訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・  和解または調停に関する費用)の文言解釈上は,被保険者が現実に他の弁護士に弁  護士報酬支払債務を負った場合でなければ,当該約款の定める場合には該当しない  と解するほかはない」,また,「本件保険契約の定めのうち紛争解決費用の支出に  よる損害についても保険金を支払う旨の部分は,賠償責任保険(被害者に対する賠  償責任債務の負担という損害について保険金を支払う保険)の性質は有していない  ものの,なお損害保険の性質は有しているものと考えるのが,約款の解釈上自然で  ある」としながら,「弁護士を当事者とする訴訟について弁護士自身が訴訟を遂行  しても,当該弁護士に損害保険でてん補すべきほどの損害が発生するということに  は無理があるものというべきである」と判示した。

(4)さらに,原審(東京高裁平成19年2月28日判決)も,第一審とほぼ同様に,  第1の争点につき,「普通約款2条1項4号は,被控訴人がてん補する損害の範囲  として,「被保険者が当会社の承認を得て支出した,訴訟費用・弁護士報酬・仲裁  ・和解または調停に関する費用」と定めており,これによれば,被保険者たる弁護  士が実際に他の弁護士に弁護士報酬を支払うこととなった場合でなければ,同号に  いう「弁護士報酬」に該当せず,弁護士賠償責任保険によりてん補される損害とい  うことはできないことが明らかである」とした。

       また,第2の争点については,「控訴人がB弁護士に自ち前件訴訟を遂行する旨    伝えた段階で「弁護士報酬」のてん補が焦点になっていたものではないし,・・・,    控訴人が他の弁護士を訴訟代理人として選任せず自ら訴訟を遂行するのであれば普    通約款2条1項4号所定の弁護士報酬が発生する余地がないことは本件保険契約上    当然である」と判示するにとどまる。

(5)以上のとおり,普通約款第2条1項4号に基づく被保険者の弁護士報酬相当額の  保険金請求権の有無については,第1の争点及び第2の争点につきこれを肯定した  上記の平成5年大阪地裁判決とこれらを否定した本件第一審及び原審の判決が対立  しているが,いまだ最高裁判所の判例は存在しない。

(6)本件保険契約の普通約款第2条1項4号の解釈は,弁護士賠償責任保険制度ひい  ては弁護士活動にきわめて大きな影響を与える重要な焦眉の問題である。Xのよう  に,自己に対して提起される訴訟を最も熟知できる立場にある弁護士自らが,多大  な労力を払って訴訟遂行しても,その労力に対応する,決して法外ではなく,所属  する弁護士会の報酬会規に従って算出された合理的な報酬が被保険者の損害または  その負担にかかる損害防止費用として保険保護の対象とされえないとすれば,今後  ,そのような場合には,弁護士本人による応訴と訴訟追行はなくなり,必然的に他  の弁護士に委ねることとなろう。場合により法外に請求されることにもなりかねな  い,その負担を強いられるのは保険業者に他ならない。

  そもそも,弁護士本人による訴訟遂行に対して弁護士報酬相当額の保険金の請求  を認めたとしても,保険者は実質的に何らの損失も蒙らない。本件は,明らかに  保険制度の本質を忘却した保険者による保険金の不払いに過ぎないのである。

   本件について,最高裁判所としての明確な判断を示すことは,現在,損害保険業  者や各種の保険をめぐって生じている法律問題に指針を与えることにもなり,重要  な意義を有するものと確信する。

(7)結論

   原判決は,本件普通約款の解釈適用を誤ったものであり,判決に影響を及ぼす  ことの明らかな法令の解釈適用に誤りがあり,法令の解釈に関する重要な事項を  含むと考えられるので,民事訴訟法第318条1項により上告受理の申立てに及ん  だものである。以下では,その理由を述べる。

 4 原判決の要旨等

(1)原判決の判旨のうち,争点に関する判断部分を引用する。

   第1の争点(被保険者たる弁護士が他に訴訟代理人を選任せず自ら訴訟遂行した  場合に弁護士報酬相当額の保険金請求権を有するか等)について,「普通約款2条  1項4号は,被控訴人が被控訴人がてん補する損害の範囲として,「被保険者が当  会社の承認を得て支出した,訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・和解または調停に関す  る費用」と定めており,これによれば,被保険者たる弁護士が実際に他の弁護士に  弁護士報酬を支払うこととなった場合でなければ,同号にいう「弁護士報酬」に該  当せず,弁護士賠償責任保険によりてん補される損害ということはできないことが  明らかである」。

   「同項(特約条項6条1項)は,保険者ではなく被保険者が自らを訴訟代理人と  して選任することができること,すなわち被保険者に代理人選任権があることを定  めたものにすぎず,弁護士賠償責任保険であるという特殊性を考慮しても,訴訟等  の当事者本人が自分を代理人として選任する場合の弁護士報酬なるものが想定され  ているものとは解することができない」。

   「普通約款2条1項項4号,特約条項6条1項をみるならば,弁護士報酬相当額  の保険金を請求し得るのは他の弁護士に訴訟遂行を依頼した場合に限られることは  至極当然のこととして理解される」。

(2)第2の争点(保険者のてん補すべき争訟費用を保険者の『承認を得て支出』した  争訟費用に限定されるか)について,「控訴人が「自らを代理人とする」という特  異な説明をしたものとは認められず,・・・控訴人は自ら前件訴訟を遂行する旨を  伝えたものであって,B弁護士は,他の弁護士に依頼しないという控訴人の意向を  了解したにすぎないものというべきである。したがって,控訴人主張の合意の成立  を認めることはできない」。

 

第1 上告受理申立の理由

 1 判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがあり,法令の  解釈に関する重要な事項が含まれていること

(1)本件は,第1に,保険契約の被保険者たる弁護士が,他の弁護士を訴訟代理人  に選任せず自ら訴訟活動を行った場合において,約款に基づき弁護士報酬相当額の  保険金請求権を有するか否か,第2に,保険金請求の前提として,約款所定の承認  が必要であるか否か,第3に,保険金請求の前提として承認が必要であり,本件に  おいてその承認がなかったとしても,保険者は,信義則上承認がないと主張するこ  とができるか否かが問題となっているところ,原審判決には,判決に影響を及ぼ  すことの明らかな法令の解釈適用に誤りがあり,法令の解釈に関する重要な事項  が含まれている(民事訴訟法第318条1項)。

(2)以下では,訴状記載の請求原因2項記載の弁護士賠償責任保険契約を「本件保険  契約」,本件保険契約の約款(弁護士賠償責任保険適用約款)である賠償責任保険  普通保険約款を「普通約款」,弁護士特約条項を「特約条項」,本件保険契約の  被保険者であるX弁護士(原告,控訴人,上告受理申立人を,以下では,「X」と  いう。),保険者である損害保険株式会社(被告,被控訴人,上告受理相手方)  を「Y」という。なお,本書における下線は,特に注記しないかぎり,Xが付し  たものである。

 

第2 原判決の批判的検討(1)

  :普通約款第2条1項4号につき,「他の弁護士」に制限する解釈の誤りがあ   ること

 1 約款解釈の方法に明らかに反すること

 原判決が,普通約款第2条1項4号に定める「被保険者が当会社の承認を得て支出した,訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・和解又は調停に関する費用」を解釈するに及び,「「弁護士報酬」は『他の弁護士に』・・・支払うこととなった場合」に限定される」と判示したことは,普通約款第2条1項4号の「『弁護士』報酬」という文言を被保険者に限定して解釈するものであり,約款解釈の方法を明らかに逸脱している。

 2 普通約款第2条1項4号の制定趣旨

(1)「弁護士報酬」=争訟費用は,損害賠償金の?補の有無にかかわらず,『被保険  者』が『保険者』に対して,?補を請求しうる権利保護給付ないしは防禦給付であ  る。

  @ 争訟費用は,結果として,被保険者に賠償責任がないことが確定した場合で   あっても?補される。この理由で,賠償責任保険は,単に損害?補機能を有す   るにとどまらず,被保険者の権利保護機能をも有していると評価されている。

    賠償責任保険において争訟費用が?補されることの意義は大きく,賠償責任保   険における被保険者の権利保護機能は,今後ますます重要性を増していくもの   と考えられる(東京海上火災保険(株)編・前掲書301頁)。

  A 争訟費用の担保は,損害防止費用的なものとして発展してしてきているが,   今日では「間違ったもの」,「不正なもの」に対する被保険者の防禦のための   ストロングアームとして機能しており,損害賠償金の?補請求と同等の重要性   があるものと理解すべきである。特に,第三者からの被保険者に対する訴訟提   起には損害賠償金の?補請求の有無にかかわらず,権利保護給付としての争訟   費用のみを認めるべしとするのが有力説の採る立場である(峰島徳太郎『損害   賠償法と責任保険の理論と実務』370頁)。

  B 被害者の提起した賠償請求が,保険者に対する関係において,法律上正当な   根拠をもたないものと考えられる場合には,責任保険の加害者保護作用の権利   保護機能または防禦機能とよばれる,もう一つの側面が登場してくるのであっ   て,保険者は被害者からの請求を拒否した後,その請求に対し,防禦すべき義   務を負い,それに要する費用を負担すべき義務を負う。(西島梅治『責任保険   法の研究』46頁)。

(2)賠償責任保険制度の本旨からは,被保険者である弁護士が自らであれ,他の弁護  士によってであれ,応訴したときには,保険者が被保険者に「第三者から被保険者  に対して提起された訴訟に対し上記権利保護ないし防禦のためになされた訴訟活動  に要した費用」を負担すべき義務を負うものであることは,自明の理であると云わ  なければならない。

 3 平成5年大阪地裁判決の解釈

 平成5年大阪地裁判決は,本件の主要な争点である弁護士たる被保険者「自ら」が訴訟に応訴した場合,その負担した争訟費用が弁護士賠償責任保険契約による?補の対象になるかという問題についても,争訟費用の?補は,「被保険者が,自らないし訴訟代理人を選任して右訴訟に応訴し,それに伴って争訟費用を負担ないし支出せざるを得ないという実際上の必要性と,それによって保険者の利益をも図られるという点を考慮して規定されたもの」であるとして,?補される争訟費用は被保険者の「支出した」ものに限らず,その「負担」したものも含まれると解する立場に与することを明示している。

 つまり,同判決は,争訟費用の「負担」という表現を用いることにより,争訟費用の「支払」の場合のみならず,弁護士たる被保険者自身が争訟費用を「負担」した場合も普通約款第2条1項4号に該当することを極めて周到に,かつ,疑念の余地のない文言で示しているのである(本判決を支持する商法・保険法学者の所論については,本書第3,3)。

 4 普通約款第2条1項4号に関するわが国の学説による解釈

(1)弥永真生氏は,この点について,「被保険者は自らを代理人として選任すること  ができ,また代理人たる弁護士の選任については被保険者の決定に保険会社は同意  すると定めている点(弁護士特約条項6条)は他の専門家責任保険にはみられない  特徴である」と述べている(弥永「専門家責任と責任保険」『新・現代損害賠償法  講座(3)』383頁)。

(2)弥永氏の既述するとおり,他の専門家責任保険と弁護士賠償責任保険とで決定的  に異なることは,弁護士賠償責任保険では,被保険者が自らを代理人として選任す  ることができるということである。

 5 実務家の見解

(1)実務家平沼高明氏も,その著書において,「弁護士過誤訴訟においては,被保険  者である弁護士本人が自ら訴訟にあたることも多いが,他の弁護士を自ら訴訟代理  人として選任することもできる(特約条項6条)。そして,その弁護士報酬額につ  いては,事件の難易度等とともに,適切な防禦活動による保険会社の負担の軽減等  保険会社の利益を考慮して,決定することができるという裁量権が,保険会社に認  められている」(平沼高明著『専門家責任保険の理論と実務』21頁)と述べる。   平沼氏においても,「他の弁護士」に限るとの制限的解釈はなされていない。

(2)このように弁護士賠償責任保険においては,「訴訟事件に関する法律事務」を  独占する訴訟等における専門家である弁護士が「自ら」権利保護ないし防禦のため  に訴訟活動を行うことができるということが他の専門家責任保険とは決定的に異なる  のである。

 6 欧州諸国の制定法の検討

 この問題に関する西欧各国の制定法を一瞥する。

 例えば,ドイツ保険契約法(VVG)第150条1項(西島・前掲書43頁),普通責任保険約款第2000の3条3項1号,普通自動車保険約款98の10条1項(ヴァイヤース=ヴァント(藤岡康宏監訳・前掲書327頁),フランス保険法第51条(大森忠夫著「保険契約法」)『仏蘭西商法〔T〕』」(現代外国法典叢書(19)108頁),イタリー民法第1917条3項等によれば,以下のようにそれらを鳥瞰することができる。すなわち,被保険者である弁護士が,自らであれ他の弁護士であれ,第三者から被保険者に対して提起された訴訟に対し権利保護ないし防禦のためになされた訴訟活動に要した費用は,約款解釈の準則に鑑み,特に「他の弁護士に支払うこととなった場合」との特約が明示されていない限り,保険者が負担すべき義務を負うこととされている(西島・前掲書44頁)。

 7 被保険者である弁護士自身による代理人の地位の兼併

(1)英米では,弁護士賠償責任保険につき,被保険者である弁護士自身が代理人の地  位を兼併すること(represent himselfが広く認められている。現在のリーデング・  ケースとされるのは,Felice判決((Felice v. St.Paul Fire & Marine Ins.Co.,711 P.2d       10661985である(甲27)。

    本判決は,アメリカ合衆国ワシントン州裁判所により下されたものであるが,弁  護士自らが保険金の請求をなしうる旨判示した。本判決は,弁護士賠償責任保険に  関する判決として,全米で高く評価され,判例法に依拠するアメリカ保険法上の指  導的判例としてきわめて重要な位置を占めている。(2)アメリカ合衆国の弁護士  にとっては,過誤訴訟(malpracticeの事件は同業者に委ねることには問題が少な  くなく,それゆえ弁護士賠償責任保険のメリットは,自らの応訴による防禦活動に  つき保険保護が受けられることにある。そのことは,アメリカにおける弁護士の共  通認識であるといっても過言ではない。

(3)わが国の弁護士賠償責任保険は,アメリカ合衆国を母法国としているのであり,  本保険約款の解釈においても,保険の制度趣旨から,被保険者である弁護士自身に  よる代理人の地位の兼併を認めることを排斥されなければならないとする合理的理  由は,何ら存在しない。

   特約条項第6条第1項にいう「被保険者は,・・・自ら弁護士を代理人として選  任できる」との規定は,被保険者が弁護士であるから,いかなる弁護士を代理人と  するのかという代理人の選択についての権限を被保険者に付与するものである(平  沼,前掲書21頁)。また,同条項は,そもそも被保険者たる弁護士が自ら弁護士  として弁護活動を行うこと(被保険者と代理人の地位の兼併)を前提としているの  である。

(4)かりに,同条項においては,弁護士である本人を代理人として選択できるか否か  について必ずしも明確に規定されていないとの立場に立つとしても,不明確な約款  については作成者に不利に解釈するという原則に従った解釈がなされるべきである。

 8 小結 

(1)わが国の裁判例(平成5年大阪地裁判決),それを支持する学者の通説的理解な  らびに実務家の見解,欧州諸国の制定法,さらには,わが国の弁護士賠償責任保険  の母法国のアメリカ合衆国の判例法および実務のいずれに基づいても,弁護士本人  が訴訟活動を行った場合には,保険者の支払義務が免除されるという制限的な解釈  をなす合理的な根拠を見いだすことは,到底困難であると言わざるをえない

   本件第一審及び原審判決を除き,弁護士が自ら訴訟を遂行したときに,保険金の  請求権を否定する判例,学説,実務家の見解並びに諸外国の制定法ないしは判例法  および保険実務は,皆無なのである。

(2)したがって,原判決の「「弁護士報酬」は『他の弁護士に』・・・支払うことと  なった場合」に限定されるとする判示は,不当にも,特約約款による自己を含む弁  護士選任権を無視し,普通約款第2条1項4号の「『弁護士』報酬」という文言を  何らの合理的な理由を示さずに解釈をなすものであり,明らかに約款解釈の方法を  著しく逸脱していると断ぜざるをえない。

 

第3 原判決の批判的検討(2)

  :普通約款第2条1項4号につき,「実際に・・・支払うことになった場合」   に限定する解釈の誤りがあること 

 1 約款解釈方法に反すること

 原判決の「弁護士報酬」は,「『実際に』・・・『支払うこととなった場合』」に限定されるとする判示は,普通約款第2条1項4号の「支出した」という文言の制限的な解釈であり,約款解釈の方法に明らかに反する。

 2 わが国の裁判例(大阪地裁平成5年判決)

(1)弁護士賠償責任保険契約における普通約款第2条1項4号の「支出した」との文  言を文字どおりに解すべきでないことは,既に大阪地裁平成5年判決により明確に  指摘されている。

(2)平成5年大阪地裁判決は,第2の争点について,弁護士賠償責任保険契約におけ  る普通保険約款第2条1項4号(本件普通保険約款と同一)が?補範囲として定め  る「被保険者が当会社の承認を得て支出した,訴訟費用,弁護士報酬・仲裁・和解  または調停に関する費用」は,あらかじめ「承認を得て支出した争訟費用」に限定  されるかという問題につき,「普通約款第2条第1項第4号が保険者のてん補すべ  き争訟費用を保険者の『承認を得て支出』した争訟費用に限っているのは,被保険  者が不要な費用を支出して応訴し,それを保険者に転嫁することを防止しようとす  る趣旨によるものであると解される」とする。

(3)そして,「しかし,そもそも保険者が争訟費用をてん補することとした趣旨には  ,適切な防御活動による保険者の負担の軽減等保険者の利益を図ることも含まれる  ことからすれば,当該損害賠償請求の内容等に応じて,適正妥当な範囲の争訟費用  は保険者においててん補すべきである」とし,「普通約款第2条第1項第4号の規  定に文言どおり従うならば,適正妥当な争訟費用を被保険者が支出した場合であっ  ても,保険者の「承認を得て支出」していない争訟費用は?補されないことになる  が,このようなことは,保険者が,被保険者に代って損害賠償請求の解決に当たる  場合に比較して,被保険者に極めて不利かつ不当な負担を強いる結果をもたらすも  のであり,到底合理的なものとはいえない。従って,被保険者が前記の適正妥当な  争訟費用を支出したと判定できるときには(なお,後記のとおり,被告は右判定に  つき裁量権を有する。),保険者たる被告は,同約款第2条第1項第4号所定の承  認がないからとの理由で右争訟費用の支払を拒むことはできないと解するのが相当  である」として,普通約款第2条第1項第4号の「承認を得て支出」との文言を,  「文言どおり」に解すべきではないとした。

(4)さらに,同判決は,本件の主要な争点である弁護士たる被保険者「自ら」訴訟に  応訴した場合,その負担した争訟費用が弁護士賠償責任保険契約による?補の対象  になるかという問題についても,争訟費用の?補は,「被保険者が,自らないし訴  訟代理人を選任して右訴訟に応訴し,それに伴って争訟費用を負担ないし支出せざ  るを得ないという実際上の必要性と,それによって保険者の利益をも図られるとい  う点を考慮して規定されたもの」であるとして,?補される争訟費用は被保険者の  「支出した」ものに限らず,その「負担」したものも含まれると解する立場に立つ  ことを明示的に示している。

   つまり,同判決は,争訟費用の「負担」という表現を用いることにより,争訟費  用の「支払」の場合のみならず,弁護士たる被保険者自身が争訟費用を「負担」し  た場合も普通約款第2条1項4号に該当することを周到に示しているのである。

 3 学説による大阪地裁平成5年判決の支持

(1)平成5年大阪地裁判決は,有力な商法・保険法学者により一致して支持されてい  る(落合誠一「弁護士賠償責任保険の争訟費用の?補請求」ジュリスト1098号  135頁,甘利公人「本件判批」熊本法学82号87頁,他に,木下崇「本件判批  」法学新報102巻1号209頁がある。)。

(2)加えて,西島氏は,被保険者が「自己の資力と労力とによって,焼失した家屋を  再建した場合と,全く事情はちがわない。」とし,保険者が負担する保険給付には  ,「金銭的に評価しうる個人的防御活動」に対するものも含まれるとする(西島『  責任保険法の研究』(78頁ないし80頁))。
(3)小結 
   原判決による「「弁護士報酬」は「『実際に』・・・『支払うこととなった場合』  」に限定されるとする」との判示は,普通約款第2条1項4号の「支出した」とい  う文言の制限的な解釈であり,約款解釈の方法に明らかに反するといわざるをえない。

第4 説明義務違反 

(1)原判決の「控訴人が他の弁護士を訴訟代理人として選任せず自ら訴訟を遂行する  のであれば普通約款第2条1項4号所定の弁護士報酬が発生する余地がないことは  ,本件保険契約上当然であるから,B弁護士に控訴人主張の説明義務があったもの  と考えることはできない」との判示は,約款解釈の方法を逸脱している。

(2)すなわち,Xは,特約条項に基づき当然保険金の請求をなすことができるとの理  解をしつつ,なおかつ,「承認」を得ることは不要であると認識していたにもかか  わらず,Yの事務所,特にB弁護士に誠意を示して,随時・適宜本件訴訟の推移を  つぶさに報告してきたのである。

   第3の争点である説明義務については,原判決は,前件訴訟でXが勝訴したこと  により「被害者に支払うべき損害賠償金」が発生しなかったので,XがB弁護士に  自ら前件訴訟を遂行する旨伝えた段階で「弁護士報酬」の?補が焦点になっていた  ものではないとした。そして,Xが「他の弁護士を訴訟代理入として選任せず自ら  訴訟を遂行するのであれば弁護士報酬が発生する余地がないことは本件保険契約上  当然である」から,B弁護士に控訴人主張の説明義務があったものと考えることは  できない,としたのである。

   原判決は,一瞥するだけでも,被保険者たる弁護士が自ら訴訟を追行したときに  は,保険保護が与えられるとの大前提を履き違えて,これを否定したものであり,  解釈方法を逸脱するとともに,約款の解釈方法に違反するものであることが明らか  であり,法令解釈の重大な誤りがあると言わざるを得ない。

 

第6 結論

(1)以上のように,わが国の裁判例(平成5年大阪地裁判決),それを支持する学者  の通説的理解ならびに実務家の見解,欧州諸国の制定法,さらには,わが国の弁護  士賠償責任保険の母法国のアメリカ合衆国の判例法および保険実務のいずれに基づ  いても,弁護士本人が訴訟活動を行った場合には,保険者の保険金支払義務及びそ  の費用が免除されるという解釈をなすことに合理的根拠を見いだすことは,到底困  難であると言わざるをえない

(2)弁護士賠償責任保険においても,他の専門家賠償責任保険と同様,第三者から提  起された損害賠償請求訴訟に対して「訴訟事件に関する法律事務」を独占する「弁  護士」(自らであれ,他の弁護士であれ)を選任して応訴した場合には,当然,普  通約款第2条1項3号ないし4号の保護があるものであって,原判決が判示するよ  うに弁護士賠償責任保険だけを他の専門家賠償責任保険と別異に解さなければなら  ない合理性は,何ら存在しない。

   したがって,原判決には,法令の解釈に関する重大な誤りがあり,また,約款の  解釈準則に違反するものであることは明らかであると言わざるをえない。

(3)次に,原判決の,普通約款第2条1項4号の弁護士報酬は,「他の弁護士に」支  払うことになった場合に限定するとの判示は大阪地裁平成5年8月30日判決に抵  触するものであり,約款解釈の方法を著しく逸脱していると言わざるをえない。

(4)以上のとおりであって,原審判決は,判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の  解釈適用に誤りがあり,法令の解釈に関する重要な事項を含むと考えられるので,  民事訴訟法第318条1項により上告受理の申立てに及んだものである。

 

 以上の理由により,原判決は破棄され,相当な裁判がなされるべきである。